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霊感が欲しい
毎年、10月3日になると「この日だけ霊感が欲しい」と思う。
人間の形にもならなかった卵子のままの私の子どもと話してみたい。

産まれていたら、たぶん16歳くらいだと思う。
今の私には高校生くらいの子どもがいるなんて想像もつかない。
きちんと子育てができていたかもわからない。

子どもは好きだけど、当時まだ若かった私は
妊娠を喜ぶよりも、もう遊べなくなるんだなと考えてしまった。
そのことを謝りたいのだ。

形はなにもないので、毎年思い出すことしかできない。
そして、この日を覚えているのもたぶん私だけだ。
男の子か女の子かもわからなかったので名前もつけられない。
どう呼んだらいいのかわからない。

江原啓之さんに話を聞いてもらいたい。
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【2007/10/03 21:08】 自分 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
おふろの王様
お風呂ジプシーのタツ弟が最近はまっているのが「おふろの王様」

今日は、タツ弟と3人でここに行く予定だったのだけど
私は体調が良くないので、ちわわたちと留守番。
タツ・タツ弟ふたりで出かけてしまった。

はじめての場所に行くのには気合いがいる。
体調も良くないと行くことができない。

タツはひとりで適当にお風呂に入るので問題ないけど
私はひとりでお風呂に入るのはなんだかさみしい。
かといって、いっしょに行く人もいない。

小さな頃から、お風呂に入るときは誰かがいっしょだった。
小学生くらいまでは父とも入っていたし
(高学年になると少し抵抗はあったけど。笑)
高校を卒業して専門学校の寮に入るまでも
母か妹といっしょに入って、いろいろな話をしていた。

こういう生活をしていたから
お風呂に入るときに話し相手がいないのは
なんだかさみしいのだ。

ひとりに慣れるしかないのかな?
【2007/05/26 14:12】 自分 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
結婚
タツは朝早くから、会社の後輩の結婚式に行ってしまった。
そのあいだ、私はちわわたちとごろごろ。

私は 友だちも少ないし、働いていない今となっては
(それなりの歳だから、友だちはほぼ結婚してるし・・・)
これから私が結婚式に出席することはないような気がする。

残りは弟くらいだけど、うちの家族は「結婚」というものに
あまり縁がないらしい。(笑)

うちの両親は離婚していて、母は再婚・父はひとりでいる。
私は離婚歴2回・同棲で1回失敗。
妹も離婚して、今は再婚、ひとり娘がいる。

こんな家族を見ていると、弟は結婚しないんじゃないかな?
と、ふと思ってしまう。

ただ、タツと暮らしはじめたとき、弟にタツの話をすると
「今までで1番まともな人じゃん」とするどいつっこみを受けた。(笑)
自分でも「男の人を見る目がないなぁ」と思っていたので
ある意味、弟の意見は正しかったことになる。

「お試し」ではじまったタツとの同棲も8月の終わりで丸2年になる。
タツの夢の中では、20年後もいっしょにいたらしいので
このまま、タツとずっといっしょにいられるのかな?

あとは、尾道のちわわたちをどうやって連れてくるか?というだけ・・・。
【2006/04/15 16:50】 自分 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
義妹との電話
昨日の朝は、夢の中に母が出てきた。

普段、起きたときは標準語で話すのだけど
夢の中では方言で話していたので
起きた瞬間から方言がすんなり出てきて、自分でも驚いた。(笑)

夕方になって、義妹から電話があった。
前回、電話がかかってきたときは、寝ていたところを起こされたので
かなり調子が悪そうな声だったらしいのだけど
昨日は、起きていたし「方言モード」に入っていたので
「今日は元気そうだね」と言われた。

義妹は兄(元夫)の用件が何だったのかが気になったらしく
一応、やりとりを全部報告をしておいた。
ただし、義母に話をするとややこしくなりそうなので
義妹のところで止めておいてもらった。

元夫は6歳下だったので、私と義妹は9歳離れている。
だけど、小姑という感じはまったくなく
「友だち」のように仲が良かった。
ふたりでカラオケに行ったり、ケーキを食べに行ったり
ゲーセンでプリクラを撮ったりしていた。(笑)

離婚をして家を出るときに1番心配だったのは義母と義妹のこと。
縁があって一時は「家族」になったのだから
今でも困っていたら何かできないか・・・とは思っている。

義妹にも「うつ病」になったことをカミングアウトしておいた。
かなりびっくりしていたけど、話して私も少し安心した。
【2006/03/07 20:15】 自分 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
元夫との電話
昨日、元夫の妹(義妹)から電話があった。
「元夫が私の連絡先を知りたがっているので
 メルアドとか携帯番号を教えていい?」とのこと。

最初は義妹にだけ連絡先(東京に来たこと)を教えて
義母や元夫には「実家に帰った」ということにしていたのだけど
離婚してもう3年以上になるので、もういいだろうと思い
「携帯番号と携帯のアドレス・PCのアドレスを教えていいよ」と伝えた。

少し時間をおいたあと、携帯にメールが届いた。
内容は「家のローンのやりくりで苦しいので20万円貸して欲しい」というもの。

年末に、元彼に借りていたお金を全額返済したので
私の手元に残っているお金はほとんどない。
(タツがくれるおこづかいは使えないので。)

とりあえず、事情を聞くために元夫の携帯に電話をする。
3年という歳月は人を変えるのか、離婚したのが良かったのか
40分くらい話をしていて、ずいぶんしっかりしてきたなぁと感じた。

私がいたときは、すべてのことを私がしていたので
ローンや光熱費のことはまったく知ろうとしなかった元夫。
今は、自分で銀行や住宅金融公庫と話をしているらしい。

家のローンは、元夫と私の収入を合算して借り入れたので
「離婚をした」ということは、借り入れの見直しをする条件になるとのこと。
で、今はその手続きをすすめているらしい。
(返済期間を延ばして、月々の返済額を減らすらしい。)
ただ、そのあいだがどうしても苦しくて、私に連絡してきたようだ。

元夫はいろいろな事情でほとんど親戚とのつきあいがない。
頼ることができるのは義母と義妹だけ。
そのふたりに頼ることができなくて
すごく考えて私に連絡をしてきたのだろう。

離婚をして家を出たとき、ちょうど家のローンが増える時期だったから
私にもなんだか「うしろめたい」気持ちが残っていた。
うちのちわわたちの父母ちわわの面倒を見てもらっているし
最後に残っていた5万円を振り込むことにした。

実は、3年前から「うつ病」になったので、今は仕事をしてないこと。
元夫も「自律神経失調症」で、今の私とおなじような薬を
私の倍以上飲み続けながら、ずっと仕事をしてくれていた。
今になって、そのことがとてもすごいことだと感じ
「頑張ってくれていたんだね」と伝えると
元夫も「そんなときに、こんな話をしてごめんね」と言う。

残してきたちわわたちを引き取りたいと話をしたのだけど
「さみしいから・・・」となかなか手放してくれない。
元夫はさみしがりだから、義母とふたりの生活だと
ちわわたちに癒されるのだろう。

いつか決心してくれればいいのだけど・・・。
【2006/03/06 15:29】 自分 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
命日
1990年10月3日正午ごろ。
子宮外妊娠の手術をした。
なので、今日は生まれてくることができなかった子の命日になる。

このことは、たぶん誰も覚えていない。
私だけが毎年この日を思い出す。
生まれていたら、もう中学生なのかなぁ?
予定日とかそれ以前の問題なので、おおまかにしかわからない。

この手術が原因かどうかはわからないけど
(右の卵管を摘出している。)
残った左の卵管が癒着して、中もふさがっている状態なので
自然での妊娠は不可能になってしまった。

一時期は、すごく子どもがほしかったので「体外受精」を考えたことがあった。
だけど、経済的にまずムリだった。
ムリをしようと思えば、できないこともないと思ったけど
自然の摂理を歪めるような気がして、結局、踏み切れなかった。

もしも、子どもが生まれていたら・・・。
離婚をしていなかったかもしれない。
そうだったら、レオちゃんやライちゃんには会えなかった。
そして、タツにも逢えなかった。

当時、島に住んでいて、本土の病院にフェリーで通っていたので
もしかしたら、手遅れで死んでいたかもしれない。
そう考えると「今の私は生かされている」のかもしれない。
何のために???

毎年、こんなことを考えてしまう・・・。
【2005/10/03 19:44】 自分 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ラッピング
「作る」話のついでに、ラッピングについて。

ラッピングもけっこう好きで、いろいろと工夫する。
最近は、100円ショップでもかわいいものが多いので
たまーに行っては、いろいろと物色して買い込んでおく。

10年くらい前のこと。
そのころ、高等学校の事務の仕事をしていた。
産休や病休の代替なので、短いときは1ヶ月、長くても1年ちょっと。
いろいろな学校に行くのは慣れるまで大変だったけど
それはそれでいろいろな人に出会えて、けっこう楽しかった。

ある学校で、おなじ事務の女の子と
国語の臨時採用の先生ふたりと仲良くなった。
月に1度くらいは4人でごはんを食べに行っていろいろとおしゃべりをした。

その学校に来ていた英語指導助手の先生が
任期を終えて、母国(カナダ)に帰ることになった。
最後に、その先生を交えて5人でごはんを食べようという話になり
お餞別代りに何かプレゼントをしようということで、私が引き受けた。

千趣会でいろいろと買い込んでいた中に
「風呂敷・ふくさ・和風ハンカチ」の3点セットがあって
こういうものが喜ばれるかも・・・とみんなに相談したら
「それ、いい!」という話になった。

どうせなら、ラッピングも和風に・・・といろいろと探したのだけど
「納得のいくもの」かつ「ちょうどいい大きさのもの」がみつからない。
それじゃあ、作ろうと思い立ち、方眼画用紙と和紙を買ってきて
ちょうどいい大きさのきれいな箱を作ってみた。
(画像がないのが残念・・・)

当日、プレゼントをすると、風呂敷等もとても喜んでもらえたのだけど
私が作った箱も「とてもきれいだ!」と喜んでくださった。

ほんとうはちょっと失敗して開けにくい箱になってしまったのだけど
裏まで紫の和紙を貼っていたので、手作りだとは思わなかったらしく
「ちょっと失敗してごめんなさい」と謝ると
作ったということに感動したらしく、私までうれしくなった。

最近はなかなか「物を作る天使」が舞い降りてこない。(´・ω・`)


(2005年9月3日)
【2004/08/16 02:17】 自分 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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